エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「そんなことをやっている場合なのか?」

2014-10-03 12:48:54 | エリクソンの発達臨床心理

 

 先月末の朝日新聞(2014,9,25 12版▲13ページ)の論壇時評の横に、小熊英二が「そんなことをしている場合か?」と題する評論を載せています。小熊とは高校二年の時に机を並べた友人なので、敬称略とします。国際学会や客員教授としての招聘で外国に行くことが多いという小熊は、数千キロ離れた場所から、我が安倍晋三政権や、日本の現状を批判的に検討しています。我が安倍晋三政権が株価対策ばかりしていて、国民ばかりではなく、世界の人々が期待している、高齢者対策やエネルギー政策、それに産業政策がなおざりにしていることを批判しています。円安にして、高いものを国民に買わせておいて、その余剰で輸出産業を支援しているようでは、憲法13条で

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

と謳われていることに抵触しますでしょ。だって、輸出産業を支援しても、それで雇用が増える訳じゃないんですから。国民に利益が還元されないばかりか、石油はじめ様々な輸入原材料が高騰しているために、国民は損しているんですから。

 また、「日本でしか通じない論じ方で議論されている」と小熊が指摘する点も、太平洋戦争へと向かう時の日本を、丸山眞男教授が批判している点と共通していて不気味です。

 ですから、小熊が「そんなことをやっている場合なのか?」と言うのもよく分かる。

 私は別の視点から、「そんなことをやっている場合なのか?」と常々思っているので、それを簡単に述べたいと思います。

 このブログでも、繰り替え申し上げていることですが、日本の学校は今危機に陥っているのです。なぜなら、日本の学校が前提としていたことが、激烈に崩れ去っているからです。愛着障害と言ってもピンと来ないかもしれませんが、これは日本の学校制度を根本的に突き崩しているんですね。

 愛着障害は、一対一の関係(2項関係)ができないんです。人は母親との安定的な愛着があって初めて、その他の人とも、安定的な一対一の関係ができるんですね。日本の学校は、この一対一の関係がすでにできている前提で成り立っています。日本の学校は、ですから、すべての活動が、3項関係でできていますでしょ。1項目が子どもで、2項目が教員で、3項目が授業、校則などの様々なルール、時間割、行事予定、振り返り学習、などですね。愛着障害の子どもは、2項関係ができていませんから、3項目に何が入ろうと、基本的にはそれが「できない話」なんですね。ですから、教員が良く見ていないと、3項目のことはすべてやんないんですね。ビックリしちゃうでしょ。

 この問題に対処するためには、幼稚園・保育所の時から、臨床心理士など、心理の専門家が、母親をサポートする体制が必要なのに、それは心ある民間の保育所がやり始めたくらいで、ほとんど手が付けられていません。小学校でも、1人の臨床心理士が週一で行って間に合うような状況では全くありませんよ。200人規模の小学校なら、10人の臨床心理士が常勤で配置されても、今の現状を打開できるか、心もとないくらいなんですね。

 わが安倍晋三政権が、大企業と自分の政権の延命にのみ心を砕いていることを思う時に、大きな声で私も「そんなことをやっている場合なのか?」と申し上げたいんですね。

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