おしゃべりしながら、集中することはできない。
p105の3行目途中から。
もしも二人の人が、自分たちが知っている一本の木の成長について話したり、今一緒に食べたばかりのパンの味について話したり、自分たちの仕事でした共通の経験について話したりすれば、このような会話が妥当なものであるのは、話している内容が自分たちが経験している場合であって、抽象的に話していない場合なんですね。逆に、政治や宗教のことを話しても、つまらないことかもしれません。こういったことが怒るのは、決まり文句を言うような場合ですし、話していることに気持ちが込められていない場合です。
やっぱり西洋でも、心がこもっていなかったり、決まり文句ばかりいうときには、対話とは言わないんですね。そんな時にゃぁ、本音は語られませんからね。そんな話をする人の関係は、信頼関係、というよりも、「腹の探り合い」でしょう。
私どもは、本音の付き合い、やり取りを大事にしたいですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます