エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

マインドフルネス=お祈り

2016-09-05 04:42:17 | 聖書の言葉から

 

 

 
真の改革は、人間皆兄弟を証明する
   ルター神学は、賛否両論があったと言います。 Young Man Luther 『青年ルター』p.223の、下から4行目途中から。     ......
 

 

 今朝も、岩手県大船渡市で、山浦医院をやっている山浦玄嗣(はるつぐ)さんの言葉から。『イエスの言葉 ケセン語訳』から3日目。

 

 

 

 

 

 日本語の「祈る」の意味は、基本的に「自分の力では、どうにもならない時に、神仏の力にすがって、よいことが起るように、願う」ということです。「よいこと」とは、「自分、自分たちにとって都合のよいこと」という意味です。… 

 四福音書の中で数えたら「祈」という文字が七十個ありました。ギリシャ語原文にあたるとこれらは四つの動詞、エウカリステオー、エウロゲオー、デオマイ、プロセウコマイとそれらの派生名詞の訳でした。…圧倒的に多いのは、プロセウコマイ《祈る》「祈る」の五十一個です。…

 もっばら「祈る」と訳されてきたプロセウコマイは、「祈る=願う」ではなく、「神さまの声に心の耳を澄ます」と訳すべきだというのが私の結論です。

 

 

 

 

 

 日本語の聖書が、いかに誤訳だらけかが分かります。概して、日本の翻訳文化は、誤訳の塊ですから、聖書に限った話ではありませんが、エリクソンの翻訳も、真面なものは1つとしてありません。西平直さんの訳も、難しすぎて、あれじゃぁ、エリクソンが優しい言葉や、エリクソンの造語で言いたいことの根っこは、根こそぎだ、と言いたいくらいですものね。

 日本語の聖書で、「祈る」と誤訳されているプロセウコマイは、神さまのかすかな声に、耳を澄ませることです。神さまは「息吹」《プネウマ》=「動いている空気」ですから、プロセウコマイは、その「息吹」に耳を澄ます点で、まさにマインドフルネスそのものでしょう

 

 

 

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