「発達トラウマ障害」Enpedia
をご参照ください。
不思議な声が,またまたまた聴こえましたので,identity and the life cycle 『聖書の神様と毎日一心同体になること と 聖書の神様の心から優しいスピリットが,目の前の相手と私の関係の中で一巡すること』 p.106 第2パラグラフ,9行目から。
でも,人が育つ場を民主化したいと願うなら,我々人間が先ずしなければならないのは,真っ当な子どもに確実になる様な民主化ですよね。人が育つ場では,親の身勝手,子どもの弱みに付け込むこと,対等でない関係を禁じる為に,我々人間が先ず気が付かなければならないのは,人生の中で対等でない関係が始まるのは,子どもと大人が対等でないことからだ,ということです。人間は子どもの時期が長いですから,親たちも,教えの場も,(訳注:目の前にもいるし,自分の内奥にもまします)あの子どもの気高さを心から信頼して,(訳注:目の前にもいるし,自分の内奥にもまします)その子どもを鍛えて,私どもが知る限り最高の人間,すなわち,キリストに育て上げる時にもできますね。子どもの時期が長いので,(訳注:目の前にもいるし,自分の内奥にもまします)あの気高い子どもも,心が重たくなるような不安に晒されることにもなれば,いつも心配でたまらない,ということにも,晒されることにもなります。
子どもが大人と対等でない。
いつも何となく不安。そういうニッポン人はとても多い。しかし,その原因が赤ちゃんの時期に,お母さんが自分と対等に関わってくれなかったことに起因する,と思い至る人は,皆無に等しいでしょう。
大抵は,目に前の,嫌いな誰かのせいにしていますでしょ。
ところが,真実は,自分の赤ちゃんの時期,子どもの時期の母子関係に、“ 何となく不安 ” の原因がある訳です。
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