個として尊重される体験 「痛いの、痛いの、飛んでけ~」≪私≫の在り処2014-09-09 10:39:46 | アイデンティティの根源 「個として尊重すること」を、今晩は考えま......
Paul Frewen , Ruth Lanius (2015) , Healing the Traumatized Self consciousness, neuroscience, treatmet 『トラウマを負わされた自分に対する囚われから自由になること 意識、脳科学、治療』の翻訳。発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども、大人。
発達トラウマ障害(DTD)の人は、生きててゴメンナサイ、という感じを抱きやすい。
最終章の第7章、p.289、最初の面接者の言葉から。キムさんとの面接の続きです。
面接者: 支援を受ける以前はどうでしたか?
キム : そりゃぁ、嫌でしたね(声が割れてます)。まさに、一人ぼっち。ホントにホントに、一人ぼっちと感じるばかり。いつでも自分の面倒を看るのは自分でした。私の周りの人と言ったら、精神病院の人ばかり。ですから、精神病院の人しか思い浮かびませんし、関われない、と思ってましたもんね。看護士も精神病院にいましたけれども、看護師は給料をもらって精神病院にいたわけです。看護士が良い人であるならば、それは臨時収入でしょ。でもね、私は現に私の面倒を看てくれる人は誰もいないと思ってたんですね。というのも、私は私だからであって、看護士たちはわたくしに対して何の義務もないからです。
発達トラウマ障害(DTD)の子どもの、根っこの気持ちは「一人ぼっち」です。基本がネグレクト、無視されること、相手にされないこと、だからです。虐待されている場合でも、人格は無視され、相手にされていない点です、ネグレクトと変わりがありません。
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