ただただ恵みによって 自由神はすべてを創造された。人間には自由に振る舞えるゆとりがあるのかどうか?が大きな問題になりますね。 Young Man Luther 『青年ルター』のp1...
言葉を分かち合うためには、私どもがまず、爽やかで、温もりと悦びに満ち溢れた世界を心の中に育んでなくっちゃね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.237の、第5パラグラフから。
アン・サリヴァンのおかげで、ヘレンが言葉を発見したことは、セラピーの関係性の本質をよく示しています。つまりそれは、以前は言葉がなかったところに、言葉を発見することや、その結果、 最深の痛みと最深欲求をほかの人と分かち合うことができることこそが、私どもが経験することが出来る最も根源的な経験なんですね。このような心と心の響き合い、すなわち,それまでは声に出せずにきた言葉が見つかり,声に出し,受け止めてもらうことが出来るとことは,ホッタラカシにされてきたトラウマを癒す上で根源的なことです。特に、それまで生きてきて,他の人たちが自分のことを無視したり、「静かにしなさい」「後で」などと言われて,黙らせられたりしていた場合には、なおさらでしょ。心が満たされるまで,気持ちをやり取りすることこそ、トラウマを負わされる事の真逆をいくことです。
ヴァン・デ・コーク教授も、ブルース・ペリー教授も、同じですね。声の治癒力が発達トラウマ障害の子どもを癒す元型だと分かりますでしょ。
逆に、口裏を合わせて、騙したり、ゴマカシたり、責め立てようとしたりすることが、いかにおバカなハカリゴト、オメデタイ 虐待なのかが分かりますよね。
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