エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

聖書の言葉: συνείδησις シュネーデシス 良心・意識 良心の第3段階

2017-04-23 02:58:54 | 聖書の言葉から
 
インターメッツォ : 本田哲郎神父の翻訳から
   器官の発達が、人間関係の意味も変える  エピジャネシスの表はとっても便利。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、......
 

 今宵の聖書の言葉は,再び,συνείδησις,ジョネーデシス,良心・意識です。

 繰り返しで申し訳ないのですが,これは,συν,共に + είδονόρϖ 見通す,見る,ということでしたね。

 共に見通す,すなわち,約束がないと,良心は育たない,ということでしょう。ですから,私は「≪私≫というものは,約束入りなんですよ」ということを,親や教員等コンサルテーションの時によく申し上げます。

 そして,「共に見通す,共に見ることは,その元型は,見つめ合う赤ちゃんとお母さんです」ということも,コンサルテーションの時によく申し上げています。

 見つめ合う段階が第1段階だとすれば,横に並んで「共に見る」のが,第2段階と呼べるでしょう。じゃぁ,第3段階ってあるんでしょうか?

 私は,それは,見られていること,見守られていることを意識することだと考えます。1人で見ているように見えるときでも,見守ってくださる方と「共に見通す」,見守ってくださる方と「共に見る」ということです

 私は実感しますね。「共に見通す」ことが出来ていると,実に不思議なことに出逢いますからね。偶然に見えることも,必然に見えてきますからね。およそ出逢う確率からするとあり得ない人と,お店でバッタリ出逢ったり,「もう無理でしょ」といわれてることが,向こうから実現しに、やって来たり…。

 συνείδησις,良心は,この3段階を経て育てられ,育まれるものです。


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