インターメッツォ : 本田哲郎神父の翻訳から器官の発達が、人間関係の意味も変える エピジャネシスの表はとっても便利。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、......
今宵の聖書の言葉は,再び,συνείδησις,ジョネーデシス,良心・意識です。
繰り返しで申し訳ないのですが,これは,συν,共に + είδον<όρϖ 見通す,見る,ということでしたね。
共に見通す,すなわち,約束がないと,良心は育たない,ということでしょう。ですから,私は「≪私≫というものは,約束入りなんですよ」ということを,親や教員等コンサルテーションの時によく申し上げます。
そして,「共に見通す,共に見ることは,その元型は,見つめ合う赤ちゃんとお母さんです」ということも,コンサルテーションの時によく申し上げています。
見つめ合う段階が第1段階だとすれば,横に並んで「共に見る」のが,第2段階と呼べるでしょう。じゃぁ,第3段階ってあるんでしょうか?
私は,それは,見られていること,見守られていることを意識することだと考えます。1人で見ているように見えるときでも,見守ってくださる方と「共に見通す」,見守ってくださる方と「共に見る」ということです。
私は実感しますね。「共に見通す」ことが出来ていると,実に不思議なことに出逢いますからね。偶然に見えることも,必然に見えてきますからね。およそ出逢う確率からするとあり得ない人と,お店でバッタリ出逢ったり,「もう無理でしょ」といわれてることが,向こうから実現しに、やって来たり…。
συνείδησις,良心は,この3段階を経て育てられ,育まれるものです。
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