エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ : 教育と魂

2016-06-12 07:18:07 | 聖書の言葉から

 

 

 
遊び相手になることが子どもを肯定しますよ 正しいことより楽しいことを是非
  遊び相手。「遊びのオジサン」のお仕事です。スクールカウンセラーとしては、心理面接や行動観察が本来の業務ですが、それだけでは圧倒的に足りない気分だからです。「気...
 

 今宵は、以前にも翻訳した、エーリッヒ・フロムの言葉から学びます(The art of lovong から)。

 

 

 

 

 

 知識だけ教えている間は、人間が発達する上で一番大事な、教えるということをじつは、失っているのです。すなわち、教える、ということは、魂が大人の、関係に誠実な人にしかできないものなのです。…昔は、…教員でさえ、単なる情報源であることが大事な訳はなかったのです、そうではなくて、教員の務めは、人間としての生き方を伝えることにあったのです。…尊敬され、お手本とされる人間は、魂が気高い人物です。

 

 

 

 

 

 

 その点、無知無恥夫婦のような「人でなし」の塊で、ウソとゴマカシのプロフェッショナルが差配するような学校は、もう「教育」の名に値しないことしかできないのも、無理はありません。いくら知識を伝えようとしても、今日フロムが教えて下さるように、知識さえ伝えることが出来ません。

 子どもに何かを教えることが出来るのは、ウソとゴマカシのない、関係に対する誠実さを大事にする人でなくてはできません。ですから、本来教育は魂の気高さを感じさせるような人物によって、なされたわけですね。たとえば、林竹二、三谷隆正、金森俊朗さん、みたいに、関係に誠実な「本物の教師」が教育をしていたし、教育をしている訳です。

 


 

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