#アーユーレディ? #ゴー! #使命の始め
#聖書の言葉 #1人豊か #命の一巡こそ救い #救いは晴れ晴れとしたぬくもりのある自由な人生を生きること ゾンビみたいな感じ 普通に生きていることが、ネ......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Afterthoughts. 1985 「補足 1985」 から。Childhood and Society の3番目の,最後の序文です。おそらく,エリクソンの出版した最後の論述になると思います。
p.9のブランクの後から。
今朝は,p.10の,7行目から。 4行目から訳した昨日のところも,申し訳ありませんが,翻訳し直します。
今の2つの大国の,2人の親のタイプのぶつかり合いを,心から自由になる観点から見ますと,全てに影響する「アメリカ的な《ママ》」の母親のジレンマと,《ドイツ的な父親》が歴史的に壊された父親のタイプとに、ぶつかります。《口うるさい教育ママ》は,シングルマザーに一括りできないお母さんの様々な特色を示していると言われます(289ページ)が、もう1つ一般論を引用すれは,「母親が《ママ》になるのは,父親が,昔ながらの父親役になれない衝撃で,《パパ》になった時だけです」。と申しますのも,もしも皆さんが教育ママになっているとしても,教育ママだけが,子どもの対する父親の思いを取り違えたんですね。アメリカのお母さんたちが,お爺さんの役回りをするようになったのは,アメリカのお父さんたちが,教育や子育てで,家族をまとめる立場を止めたからです(p.295)。どちらのケースでもとても為になってきたのは,お母さん,あるいは,お父さんは,どんなタイプだったのか,ということと,お母さんとお父さんの関係はどうだったのか,ということを話し合うことです。これまで私は,軍靴が聞こえる中で父親の子どもに対する思いが残忍になったことに触れましたし,山川草木森羅万象悉がかしづいて,晴れ晴れと自由に生きることを振り返っていますのは,時間を見通す時に,いまここにこそ,山川草木悉が生きるはキリストとなって,聖書の神様のいのちを分かち合う結界がありますよ,ということをお示しする為なんです。そのいまここは,科学技術が最高に発展した結果,世界中の全ての人が,核爆弾の危機であると同時に,人間の最深欲求(聖書の神様と共に居て1人だけが満たすことができるヌミノース)を満足できない危険にさらされているいまここです。
ナウエンさんの詩とピッタリです。
偶然でしょうか?
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