赤ちゃんの時の危機で、根源的信頼感ではなくて、根源的不信感の方に傾いている人が、少なくとも今の日本では多いので、その後の人生においても、人と対話できない、魂が響き合わない負の傾向も、早まっている、と言えそうですね。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p73の、下から4行目途中から。
role repudiation ロール・レピュディエーション 「役目を果たさないこと」の最後は、negative identity ネガティヴ・アイデンティティ 「自分とも人とも対話のない生き方にこだわり、いつでも『自分は上』にせずにはいられない、迷惑な生き方」という邪な傾向を選んじゃう、ということです(これは、いつでも、≪いまここ≫にあるものですけれども)。negative identity ネガティヴ・アイデンティティ 「自分とも人とも対話のない生き方にこだわり、いつでも『自分は上』にせずにはいられない、迷惑な生き方」とは、すなわち、人々が受け入れがたいもので、しかも、頑固に凝り固まった、自分を確かにする要素を組合わせたものです。もしも、社会が生きるのに適当な選択肢を提供できない場合、role repudiation ロール・レピュディエーション 「役目を果たさないこと」になると、その人は、おしなべて、突然「境界例」人格障害になるやもしれませんし、赤ちゃんの時の≪私≫という感じを経験する葛藤へと退行するやもしません。しかし、これらはみな、自分が生まれ変わりたい、という絶望的な試みなのですね。
ここを読むと、ますます、今の日本の現状を預言した件であることが、ハッキリと分かります。子どもから、それなりの仕事をついている、いい年をした大人までもが、この「役割を果たさない」ことになっちゃってる訳ですね。この場合、「役割」とは、たとえば、母親としての役割、父親としての役割、教員としての役割、社会人としての役割などです。そのそれぞれは、社会の状況の変化に合わせて、変化する部分と、時代や地域には無関係に普遍的な部分がありますよね。この普遍的な部分で、たとえば「母親としての役割」や、「教員としての役割」を、果たさない人が増えてる、ということです。
「虐待をする母親」、「イジメをする教員」、「会社の目先の利益しか考えない社会人」などは、その普遍的な「役割を果たさない」人たちの典型ですね。最近はこういう人たちが多いことが残念ですし、社会病理として、私どもが解決しなくてはならない課題です。
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