子どもが心を病んでしまうのか、それとも、健全でいられるかは、子どもと大人(親や保育士・教員)とがやり取りのある関係を日々しているのか? それとも、上下関係になっているのか? で決まります。これは抽象論などではなくて、至極具体的な話です。今多くの子ども、小学生の半分以上が、愛着障害という心の病を病んでいるのは、子どもがやり取りのある関係に恵まれず、大人から相手にされていないからですよね。
p220の1行目途中から。
しかし、このことによって、私どもは、大人から子どもへと世代が繋がるときの、個人の役割へと、また、発展した秩序へと思い至ります。あなた方(インドの人々の)「聖書」では、Lokasangraha(サンスクリット語で、「世界の発展」の意)、つまりは、「世界のメンテナンス」(ラーダークリシュナン教授の翻訳で)へと思い至ります。事例史と生育歴の研究を通して、私ども精神分析家は、ある程度は宿命的で、ある程度は実り多い、やり取りのパターンが、一番具体的なカテゴリー(親と子、男と女、教員と生徒)の中に、あることが、ハッキリわかるようになりました。この具体的なカテゴリーが、大人から子どもへと世界をメインテナンスする際に重荷をもたらすことになります。私どもが倫理について気付いたことの意味に、私が心奪われたのは、私がこちらに参る前でして、皆さんが良くご存じのように、ここインドでの、数か月にわたって活発な議論によって、私の関心が誤りでなかったことを示してくれました。ですから、私が教える際によって立つところをお話し、皆さんとの議論をする中で、さらに豊かな学びをしたいと思います。
実に見事な導入部ですよね。関根正雄先生のような謙虚さがにじみ出ている物言いです。
親と子、男と女、教員と生徒。その関係が、やり取りのある関係なのか? 支配と従属の関係なのか? それが決定的です。日頃は、忙しさにかまけて、そんなことは考えもしない生活でしょ。オートパイロット、自動操縦に、生活全般がなっちゃってて、内省が、自省が、自己内対話が足りません。
繰り返し申し上げます、この世の中で、やり取りほど大事なものなど、何もない!! ってことを。
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