過去と現在を結びつけて未来を見通すときには、東向き、光を仰ぐのです。
Young Man Luther 『青年ルター』のp184最初から。
聖アウグスティヌスが、人間のトータルな破滅に対する、悲しげな言葉にもかかわらず、アウグスティヌスは、自分の記憶の中で、自分自身と正面から向かい合うことを、むしろ、悦んでいる感じです。それにもかかわらず、アウグスティヌスが自分自身と向かい合うことができたのは、神の恵みの賜物なんですね。
自分自身と向かい合うことが日常化している人にとっては、自分の向かい合うことは日常的です。しかし、それはここに記されているように、神様の恵みです。しかし、自分と向き合う習慣がない人には、「そんな難しいことは…」となるでしょうね。
そう、自己内対話、内省は、自分一人でやることなのに、自分一人ではできない。二律背反ですね。それは、子どもが、一人遊びを一人でできないのと同じです。子どもは母親に見守られているからこそ、一人遊びを遊べるのです。
同様に、私どもは、神の恵みのおかげで、自己内対話を、1人ででするのですね。
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