ルターのおかげで、「汚い」と言われていた(いまも、汚いと言われがちな)話し言葉によって自分を確かにさせる「近代」が始まりました。
Young Man Luther 『青年ルター』p.224の第3パラグラフから。
もちろん、イギリスのジョン・ウィクリフや、ボヘミアのヤン・フスは、2人して、マルティンが生まれる100年以上も前に、カトリック教会の中で高位の司教様や作家が広く議論していた神聖とされていた諸問題について、熱狂的に無礼な振る舞いをしたことに注目が集まったのも、事実です。その諸問題とは、典礼、特に、告解(懺悔の告白)を、穢れた耳の司祭達(金を貰って告解を聴いて、無罪放免を宣言する司祭達)に任せること、穢れた手の司祭達(金をとってミサをする司祭達)におミサをしてもらうこと、穢れた手で「金よこせ」と強要すること、始めは、司祭の仕事だと言われた告解に対する添え物だったけれども、次第に、お金を出せば告解したことの代わりになりました。とどのつまりが、問題の中の最大の問題である、外国人で遠くにいるローマ教皇の無謬説です。ローマ教皇が是認すれば、汚い金を受け取るような司祭でも、司祭が金をとってやることも、批判を許されないのでした。
中世のヨーロッパって、今の日本みたいですね。日本はヨーロッパに比べて、500年は遅れているのかもしれませんね。ここの話は、まるで東芝や西武学園の話と同じでしょ?!
暗黒時代と言われた中世ヨーロッパは、今の日本と同じですね。
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