今晩も「自由」について考えます。宮沢りえさんには、今晩も登場していただきます。繰り返しで申し訳ないのですが、「自由」は、加藤周一さんが基本的人権の中で最も根源的なヒューマン・ライト 「人間にとって、正しいこと」なんですね。ですから、逆に申し上げれば、この自由がなければ、他に、どんな一見「正しそうなこと」があろうと、一見「正しそうなこと」を主張しようとも、それは全て、「人間にとって、正しいこと」にはならない! ということですね。
人は、今まで自分が出来ずにいることができるようになったとき、どなたでも、嬉しいんじゃないのかしらね。小学生と付き合っていますとね、自分が抑え込んでいた気持ちを表現できるようになった時の、真剣な、しかし、イキイキとした感じの表情やしぐさを見る時、そのセラピーは、まだ結果が出ていなくても、「できた」「うまくいったなぁ」と感じますからね。またもっと一般的に申し上げれば、書けなかった漢字が書けるようになったとき、繰り上がりの足し算が出来るようになったとき、幅跳びで三メートルが跳べるようになったとき、逆上がりができるようになった時などの、実に嬉しそうな顔と仕草をする子どもを見れば、出来なかった「壁」を乗り越えて、出来るようになることが、人間にとって、根源的な悦びの源であることが分かります。
でも、それだけじゃないですね。スキルの向上だけが、壁を乗り越えることじゃないでしょ。人間にとっも、もっとも厄介なのは、昨日のブログでも取り上げた、人の人を分ける垣根、壁の方ですよね。スキルの壁は、「逆上がりが苦手」などと意識しやすいし、それは意識しやすい分だけ、乗り越えやすい。けれども、人と人を分かる壁は、無意識に根差す「人間を上下二つに分けるウソ」との結びつきが根深いがゆえに、そもそも意識に登りにくいので、その壁はいっそう越えがたい、と言えますでしょう。
ここで、宮沢りえさんのご登場。村上春樹さんの「海辺のカフカ」を、蜷川幸雄さんの演出で、ニューヨークのリンカーンセンター(ブロードウエー)やロンドンのバービカンセンター(シティ)で上演し、スタンディング・オベーションを得たそうですね(http://digital.asahi.com/articles/DA3S11953151.html)。海外公演、大成功という訳ですね。でも、最初からそうだった訳じゃないみたいですよ。ブロードウエーなどのスタッフが、最初から、この舞台を歓迎したわけじゃないのだそうですね。ところが、観客がスタンディング・オベーションでしょ。「おぉっ、客が喜んでるよ」ってなわけで、宮沢りえさんたちに対する目が変わったってんですね。その時の悦びを、宮沢りえさんは、次のように言っています。
「何より嬉しかったのは、…最初はチョット斜な感じで居た人たちが、初日が開けた瞬間の、スゴイ、スタンディングで拍手をしてくれた時に、パッと袖を見たら、そのイギリス人やニューヨークのスタッフが、『客が悦んでるよ』と言って…一気に国境を超えて、ただ物を作る演劇人として、何の国境もラインもなくなって…そのラインがなくなったってことが、すごく幸せです」と語ります(NHK「switch・interview達人達」再放送は、明日、9月9(水)24:00【宮沢りえ(女優)× リリー・フランキー(イラストレーター・作家・俳優)】)。
人と人を分けていた壁を乗り越える自由こそ、私どもも喜びとしたいと思います。なぜなら、これが、「人間にとって、最高の悦び」であると同時に、「人間にとっても、最も正しいこと」、なのですから。
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