今宵の聖書の言葉は,πλησίον,プレーシオン,隣人,仲間です。
隣人については,キリスト教で一番大事な教えにありますね。『新約聖書』の中で一番古いイエス・キリスト物語,「マルコによる福音書」の第十二章に出てきます。
「最大の掟
28学者のひとりが彼らの議論を聞き、イエスの立派なお答えぶりを見て、おそばに来てたずねた、「すべての掟のうちでどれが第一ですか」と。29イエスは答えられた、「第一はこれである。『聞け、イスラエル、われらの神なる主はただひとりの主にいます。30あなたの神なる主を愛するに、心をつくし、魂をつくし、思いをつくし、力をつくせ』。31第二はこれである、『隣びとを自らのように愛せよ』。これらにまさる掟はほかにはない」と。」
クリスチャンじゃなくても,「隣り人を自分を大事にするみたいに大事にしなさい」という言葉は,一度くらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか?
「この隣人とは,誰ですか?」と問われて,イエス・キリストは,サマリア人が人助けをしたたとえ話をしたことがありました。山賊に襲われた旅人をサマリア人が助けた話です。世間で「偉い」と思われていた宗教指導者や先生は,傷ついた旅人に関わろうとはせず,遠巻きにしていました。サマリア人だけは,介抱し,宿屋まで運んで,さらなる手当を頼みました。サマリア人みたいに,「弱い者の味方になりなさい」というのが,「隣人を自分のように大事にする」ことみたい。
弱い者の味方になるためには,遠巻きにしていたのでは,なれません。
弱い者の味方になるためには,一歩踏み込む勇気が必要ですね。
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