Toys and reasons. P.80。6行目。
礼拝って,日々の暮らしの一側面ですから,自分が属する文化社会,自分の属する階層,自分の家族ではない,別の文化社会,別の階層,他の家族を見た方が分かりやすいものですね。それに,礼拝って,全うな生き方としてしか経験できるものじゃぁないんですからね。
礼拝って,日々の暮らしのことですから,対象化して「これです」とは言いずらい。ですから,外国に行ったり,他の家族を見た方が分かりやすい。私も日本のことが解かるようになってきたのは,外国,特にデンマークとスウェーデンの人々の日々の暮らしと働き方に接したからですね。500年は遅れている,あるいは,北欧の暮らしを実現するためには,500年以上かかる,と感じました。
本物の礼拝は,しかも,全うな生き方,私どもクリスチャンにとっては,弱くされた人々へ一歩歩み寄って,弱くされた人々の視点から学ぶ生き方をして生くことだと考えますね。
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