エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ユングが語る「感情色のコンプレックス」

2015-08-10 04:57:19 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
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 今晩は、ユングの第6夜。昨日はショートカット版で失礼しました。

 今晩は、ユング著作第8巻(The structure and dynamic of the psyche 『魂の構造と魂の爆発的な力』:The collected Works of C.G.Jung, Vol.8, pp.159-234)On the nature of the psyche 「魂の本質について」から。無意識の働きについて皆さんと考えたいと思います。

 無意識と言ったら、意識できないこと、くらいに理解している場合が多いのじゃないかしらね。教科書的には、「フロイトは無意識の否定的側面を強調し、ユングは無意識の肯定的側面を強調する」と対比的に言われます。そう言う傾向は確かにあるのでしょうけれども、それは非常に大雑把な理解でしかありません。ユングはよくよく無意識の否定的側面も知っています。

 その一つが無意識の強迫的性格です。難しいですね。簡単に申しましょう。意識的に止めようと思うことすらないのに、意識的に止めようと思っても、ふつうは止められない、心の働きです。恐ろしいですね。デカルトの「コギト・エルゴ・スム」=「意識するからこそ、私は存在する」が根本から否定されてしまいます。

 どういうことでしょうか?

 それをユングは、autiimatism オートマティズムと呼びます。「自動症」と呼ばれるかもしれませんが、「意識的に動くのではなくて、無意識で動かされてしまうこと」です。つまり、自分がやっていることが、自分がやりたいことではないこと。たとえば、お母さんが、自分の子どもがかわいいはずなのに、その子どもを眼にすると、ついつい怒鳴ってしまうし、時には手を挙げることさえある…。おかしいでしょ。でも、割とあることでもある。

 その背景には、ユングの言うfeelingtoned complex 「感情色の体験の塊」があるという訳ですね。これは非常に具体的、非常に実際的です。先のお母さん。どんな「感情色の体験の塊」があるのかしらね? それは、そのお母さんが子どもの頃、自分のお母さんから、辛く当たられていた、あるいは、そもそも相手にされなかった。すると、その繰り返しの体験が、「寂しさ」、「悲しみ」、「不満」、それから、「激しい怒り」、「殺したいくらいの憎しみ」…。そう言う「感情色」に、過去の体験が染まるんですね。それから、それは無意識の世界に潜み、意識とは無関係に、つまり、意識のコントロールを受けずに、日常生活に勝手に、土足で入り込んでくるわけですね。そして、これほど恐ろしいこともないわけですね。虐待、イジメ、押し付けの「教育」(謙虚を装って、「正しいこと」を押し付け、相手の気持ちや立場を一顧だにしない関わりなので、それはもちろん「教育」=引き出す、という意味の本来の教育の名に値しないことは、明々白々です)には、かならず、この「感情色の体験の塊」があるんですね。

 じゃあ、どうすればいいの?

 それは、衝動や悪い良心と同じです。逃げずに向き合うことです。つまり、意識することです。

 意識は、このように、光なのですね。

 

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