自分の使えるセラピーの方法をハッキリ示すこと小出裕章さんのメッセージ 東北~関東 ホントは人が住めない⁉ 昨日早稲田のクラスメートの楠さんがfacebookで、小出裕章さんのメッセージに「......
上智大学名誉教授で、司祭の雨宮慧先生によれば、イエスが、弟子たちと出会い、弟子たちも、クリスチャンとして生きる最初の件について、5つの要素がある、と言います。いわゆる「召命物語」には、5つの要素がある、と言う訳です(『福音書の言葉』上、p.132)。
その2番目の要素が「見る」です。ギリシア語では、エイドン εἶδον(όρῶ ホロー の第2アオリスト)です。この単純で、日常的な言葉と事実「見る」には途轍もない力があります。イエスが「見る」こと、イエスに「見られる」ことには、その人の人生のすべてを変えてしまう力があるからです。
何故なんでしょうか?
イエスが、人を見る時には、その人の≪いまここ≫を見るだけではなくて、その人の≪あとでどこででも≫も見ている訳ですね。見通す力ですね。
私どもひとりびとりは、イエスの見通しに従う義務はありません。でも、私どもひとりびとりは、そのイエスの見通しを、「共に見る」こともできます。その時、私どもひとりびとりは、イエスに繋がる「こころ」を生きることができます。「共に見る」こそが、συνείδησις シュネーデシス 「良心」です。そして、このσυνείδησιςこそが、 συν=「共に」+είδον<όρϖ=「見る」ことでしたね。
私ども、サイコセラピストも、子どもの、クライアント自身の立場から、その子どもを、クライアント自身を「見る」、「見通す」ことによって、「共に見る」=こころを、良心を育めたら、と願うものですね。
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