エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「見る」力 : 聖書とサイコセラピー

2016-11-17 02:01:59 | 聖書の言葉から

 

 

 
自分の使えるセラピーの方法をハッキリ示すこと
   小出裕章さんのメッセージ 東北~関東 ホントは人が住めない⁉  昨日早稲田のクラスメートの楠さんがfacebookで、小出裕章さんのメッセージに「......
 


 上智大学名誉教授で、司祭の雨宮慧先生によれば、イエスが、弟子たちと出会い、弟子たちも、クリスチャンとして生きる最初の件について、5つの要素がある、と言います。いわゆる「召命物語」には、5つの要素がある、と言う訳です(『福音書の言葉』上、p.132)。

 その2番目の要素が「見る」です。ギリシア語では、エイドン εἶδον(όρῶ  ホロー の第2アオリスト)です。この単純で、日常的な言葉と事実「見る」には途轍もない力があります。イエスが「見る」こと、イエスに「見られる」ことには、その人の人生のすべてを変えてしまう力があるからです。

 何故なんでしょうか?

 イエスが、人を見る時には、その人の≪いまここ≫を見るだけではなくて、その人の≪あとでどこででも≫も見ている訳ですね。見通す力ですね。

 私どもひとりびとりは、イエスの見通しに従う義務はありません。でも、私どもひとりびとりは、そのイエスの見通しを、「共に見る」こともできます。その時、私どもひとりびとりは、イエスに繋がる「こころ」を生きることができます「共に見る」こそが、συνείδησις シュネーデシス 「良心」です。そして、このσυνείδησιςこそが、 συν=「共に」+είδον<όρϖ=「見る」ことでしたね。

 私ども、サイコセラピストも、子どもの、クライアント自身の立場から、その子どもを、クライアント自身を「見る」、「見通す」ことによって、「共に見る」=こころを、良心を育めたら、と願うものですね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 出藍の誉れ | トップ | インターメッツォ: 神様の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿