成城の砧区民会館4階の集会室などで行われていた「聖書を学ぶ会」での聖書報告、お楽しみいただけましたでしょうか? また、折を見て、別の回のものを載せたいと思います。
さて、今宵は再び本田哲郎神父様『釜ヶ崎と福音』に戻ります。p.235.から。
伝統的な「上からの救済」感覚のわたしたちには、霊性上の危機ともなるはずです。しかし、これこそ発想の転換(メタノイア)をうながす大事な気づきの時なのです。
…私たちは貧しく小さくされた人たちから「学ぶ」必要を感じるようになります。…貧しく小さくされた人たちには、私たちにない洞察力があり、わたしたちにはない知恵があるのです。イエスもこのことを告げています。
父よ、天地の主よ、あなたをほめたたえます。
あなたはこのことを、知恵者や賢者にはかくして、
不器用な者たちに示してくださったからです(マタイ11章25節)。
「メタノイア」と言ったら、教会で、お御堂でするものだ、と勘違いしがちです。しかし、今宵本田哲郎神父様が教えてくださっているように、極めて日常的、日々の生活の中にこそあるものだ、ということに気づかされますね。
すると、メタノイアは、日常の暮らしの中で、人と関わる時にはなくてはならない「発想の転換」=メタノイアをもたらしてくれるものになりますよね。
貧しく小さくされた人たちから学ぶ視点こそが、神の叡智です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます