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Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 第三部。p.121,下から3行目途中から。
壁に掛かった様々な夢
私は拙著を,子どもの積み木遊びから始めて,遊びの理論を振り返り,私の最初の本でお示ししたことを改めるつもりがない,というところまで来ましたね。つまり,最初の本でお示ししたこととは,おもちゃの舞台で「陽気に楽しむ」ことは,枠付けされた「小宇宙」に,諍い合う様々な人を投影しがちな人の心をハッキリと映し出す唯一のひな型だ,ということです。諍い合う様々な人を投影することは,人生の一瞬を物語にするものです。子どもの遊びの中に,あの聖書の神様が創造するというヴィジョンがあることは,見れば分かります。あの聖書の神様が創造するというヴィジョンは,枠付けされた(訳注:自由で賢慮が働く)聖域も1つ,後で使うことになります。そこは「対等な関係の場」(対等な関係が外側に広まるのは,ますます陽気で楽しく,ますます晴れ晴れと,互いに分かり合うために,2人が一心同体になる聖書の神様の場が,広まることです)ですし,1つの舞台,あるいは,自分自身になる目的に向かう道で,自分が主人公であることを取り戻すための青写真です。自分自身になるのは,聖書の神様が一巡する命が展開する関係の中で,上手に自分ならではを育てることによって,実現するものです。しかし,私がまたここでキッパリと指摘しなくてはならない,人を落ち込ませる類の,恐れ,思い煩い,ガタガタいう震えは,些細なものでも,バカでかいものでも,生きている実感を押し殺す時,心から自由になる希望が死ぬのが,目に見える敵,目に見えざる敵によって課せられた,悲しき自分の定めだと人は誤解してしまいます。
なるほど,本当です。アーメン。
生きている実感を生きる指針にして自分自身になることこそが,人生の目的なのに,思い煩いがあると,心は2つに分裂し,生きている実感を押し殺す羽目になります。
すると,人は心から自由になるという希望を失い,希望を失った人生が自分の悲しき定め,と誤解することになります。
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