エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

信頼できずにいる人々向けの話し言葉

2014-07-25 05:37:32 | アイデンティティの根源

 

 自分の眼で見て、自分の耳で聴く。これは、一見当たり前のようで、その実、これ程、難しいことはありませんよ。大体が「常識」と言う眼で見て、組織に都合のいい「耳」で聴いていることの方が、はるかに多くはないでしょうか? 自分の眼で見る、自分の耳で聴く、というのは、非常に意識の高い能動的選択を経た態度なんですね。

 p326の最後の行から。

 

 

 

 

 

 しかしながら、マタイよれば、この(感覚にまつわる)話し言葉は、癒しや奇跡ほど民衆の関心を引きませんでした。イエスは、できる限り癒して上げたいという思いやりに突き動かされているように見えます。ただし、イエスは神の国が来る、劇的な「しるし」を示す用に求められることがあまりにも多いことを残念に感じているように思われますけれども。さらには、私どもは、イエスが癒しをするときに語った(本物の)言葉を聞くときに、明らかになるのは、イエスが迷子の羊の羊飼いになると宣言したことは、誰かの苦難や不幸を、単に元通りにするだけじゃぁなくて、イエスの時代の生き方を正したいという意図を表していた、ということです。実際問題、イエスの話し言葉は、当時は詩的な形(たぶん、生来のアラム語で、しかも、韻を踏んでいた)だったはずですが、信頼できずにいる状態に向けて話されているんですね。この人びとが信頼できずにいる状態は、当時の政治的な状況を反映した民族の症状だったわけですね(ユダヤ教では、この信頼できずにいる状態は、ユダヤ教そのものと言えるほどでした)。

 

 

 

 

 

 当時のユダヤは、今の日本と同じなんですね。ユダヤ人が当時、信頼できずにいたとすれば、まさに今の日本も、ほとんどの人が信頼できずにいるのです。私が小学校に行くたびに、少なくない数の子ども、少し前までは、20-25%程と考えていましたが、最近は50%程の子どもが、まさに信頼できずにいる、と感じるようになったんです。子どもがこれほど信頼できずにいるということは、それは大人の世界の鏡なんですから、大人が信頼できずにいることを象徴しているんです。それもそうでしょう。国を挙げてウソとゴマカシを、原発や「集団的自衛権」でやっていますし、東電やJR北海道、そごう、東急、東武、西部、伊勢丹、高島屋、そごう、小田急、松坂屋…、挙げればきりがないほどの「一流」企業も、ウソとゴマカシをやっているんですからね。信頼のかけらもない、と言った方が、実態に近いでしょう。

 イエスの話し言葉が、当時のユダヤに必要だったように、今の日本にもぜひとも必要ですね。

 

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