エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ニッポンの学校に、「光」を!! 補足版  学校の雰囲気として、「どうせ言っても先生は聞いてくれない」 

2016-03-11 07:34:38 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
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  昨日、ブログで「広島中3年自殺事件は、大川小学校並みの学校の病理の現われデッセ」を書きました。かなりのレスポンスがあります。関心が高い。報道ステーションやニュースウェブでも取り上げられてましたしね。

 学校が作った「調査報告書」が公開されて、新たなことが分かってきました。報道ステーションの報道によれば、自殺した中学3年生が、学校の雰囲気として「どうせ言っても先生は聞いてくれない」と、両親に言っていた、と件の調査報告書に出てきましたね。そりゃそうでしょ。広島中3年自殺事件は、大川小学校並みの学校の病理の現われデッセの中でも申し上げましたように、強制「指導」することに飼い馴らされた多くの教員には、≪聴く耳≫がないのですからね。この子が「どうせ先生は話を聴いてくれない」と言っていたというニュースを耳にして、「やっぱりね」と感じますものね。子どもとやり取りする関係ではなくて、子どもにいろんなことを有無を言わせず押し付けているから、子どもが「どうせ言っても先生は聞いてくれない」という不信感を持つんですね。

 問題は、やはり2点でしょう。

 1つは、ニッポンの学校では、教員が、立法権、行政権、司法権を独占した、専制君主だということです。ルールも教員が作り(立法権)ルールの執行も教員がやり(行政権)、子どもがルールを守っているか否かの判断とそれに伴う処分も教員がやってる(司法権)状況です。権力が集中する時、腐敗する、という歴史的真実が、ニッポンの学校にも当てはまります。つまり、ニッポンの学校は権力の集中により、腐敗している、ということです。報道ステーションで、首都大学東京准教授の木村壮太さんが、「学校は開かれた組織にならなければならないし、権力は分立しなくてはならない」と言ったのは、そういう腐敗防止のための方策ですね。

 ただし、教員には、専制君主の自覚はないでしょう。というのも、その教員自身が、人事考課制度や管理職の眼や忙しい職務に翻弄されているからです。ニュースウェブで、法政大学教授でもある尾木直樹さんが、「2002~3年にあたりから、教員の人事評価制度が入りました、…昔は校長・教頭の他はみんな平だったけれども、今はある県では…校長の上に統括校長がいて、校長、副校長、主幹、主任、指導教諭、平の教師と序列がものすごくついている…『みんなで仲良く』という雰囲気は全然ない。みんな1人、自分の評価をどう上げるかを、考えるようになってしまいました」と言いますね。組織の在り方が、旧日本軍と同じです。丸山眞男教授の分析を援用すれば、管理職などから縛られた教員は、無意識裡に、子どもを縛ることのなります。「抑圧移譲」、「イジメの連鎖」です。ニュースウェブで、尾木直樹さんは「民間企業だったら、いまのニッポンの学校は、とっくに潰れている」と言いますでしょ。ニッポンの学校は、それだけいい加減な組織、お役所仕事になっちゃってる訳ですね。

 もう1つは、やっぱり、生徒・教員関係ですね。今日のコラムにある金森俊朗さんのような教員が極端に少ない。金森俊朗さんのように≪聴く耳≫の塊のような教員は、極めて少数派です。多くの教員が、「上下関係」を使って、ルールや「正しいこと」を子どもに強制する立場に堕落していることですね。

 仲の良い校長さんや≪聴く耳≫のある教員も、少数ながらいるので、心苦しい面もあります。がしかし、ニッポンの学校の危機的状況の一端を、皆さんに知っていただき、子どもの命と人権を守り、教育本来の子どものポテンシャルを引き出せる学校へと改革するために、あえて苦言を呈した次第です。

 すべては、子どもに、学校に、「光」を取り戻すためです。

 

 

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