#全体像は現実になる #その道 #歓び豊かで自由な毎日 #新しい心の習慣の見通し #創造の秘密ヴァージニアは嫌われ者 オバマ大統領の祈りの恵み338,,cw=338,q=100,da=s,ds=s" alt="" /> 訓練して身に付ける優し......
先日臨時で訳したところが気になるので,今宵もその続きを翻訳する3日目。Toys and reasons p.37の,ブランクの後の第4パラグラフの4行目途中から。第2パラグラフからもご一緒に。
しかし、もしその先生の言葉が、今回のように意義深いやり取りのある言葉になったとしたら、この先生の言葉は、個人的な(不安をハッキリ言葉にする)表現としてそうであるばかりではなくて、あらゆる世界に対する見方に対して重要な一定の変化をもたらす一つのお告げとしても、意義深いやり取りのある言葉となりました。その変化とは、その先生の生涯のおいても、この子の生涯においても、一方では、人権運動によってもたらされてきた変化ですし、他方では、近代教育によってもたらされてきた変化でもあります。子どもの生きている実感を引き出すことを日常生活の中で礼拝にするものと呼ぶものについては、後ほど論じることにします。互いに相手の下に立つ 聖書の神様がまします場だけが、発達を可能にし,発達する勇気を子どもに与えることができますし,2人が互いに豊かな心で相手の下に立ち,大事にし合うことを約束します。
ですから、遊びを読み解くと,内側に宇宙を作りだそうとする子どもの心と,仲間達の常に変わり行く世の中に対する見方を,発見的に繋ぎ合わせるものだ,と分かりますね。だからこそ,遊びこそは,ひとりびとりの子どもが,自分自身の時間と空間を創造するように導くものだ,として私は活用していますし,遊びこそ,世の中に対する,既存と,あるいは,進歩しつつある見方の時間と空間といつもやり取りする命があるものだ,と私は歓んで受け容れようとします。
臨床で当然だと見なすように骨身に沁みて分かったことは,遊びの中では,夢の中でと同様に,様々な分かれ道がどなたにもあると同時に,自分や仲間が自由になることを心から望んでいる最深欲求が,大なり小なり,透けて見えるほど,繰り返し目の前に現れる,ということです。子どもは心病むと,おもちゃの小宇宙の中で,わずかな時間,理解ある態度で見守ってもらうこと(訳注:あるいは,子どもの遊びを礼拝にすること)で,ど真ん中に諍いがあって心響かないでいることを,陽気で楽しく遊んでいる,なんて申し上げても,信じられないかもしれませんね。かつて私もこのことでほんとかどうか迷っていましたが,今から30年前に遊びの読み解きをすることになったバークレーの子ども達の生活を,再び見直すチャンスに最近巡り合って,子どもの遊びの真価が分かってきましたね。
諍いがあると,「やめなさい」と止めてしまいますでしょ。
でも,このど真ん中の諍いは,心響かない母子関係のことなんですよ。
不思議なことに,子どもは,その心響かない母子関係を,繰り返し繰り返し,陽気で楽しく,しかも,真剣に,遊びにします。陽気で楽しくの方には気付かない人が多いですが,真剣さの方は,容易に気づきます。
この諍いがまさに分かれ道でして,諍いがある,このど真ん中にキリストが来てくださる時に,その諍いから,自分も人も心から自由になることを発見した者は,必ず驚き感激しますから,実に不思議で実に素晴らしい天啓です。
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