最も大事なものは、人の心、そこに根差すスピリット。
p241ブランクの後から。
私たちすべてが研究し、働きもしている世界、すなわち、国際情勢の不吉な地平が、現在と遠き未来において、来ることについて、どのように最後に申し上げたらいいのか? ここでも私どもは、個人の倫理と、職業人としての倫理と、政治的倫理をバラバラなままでいつまでも放っておくことなど、出来ません。それがバラバラなままですと、生活そのものが危うくなりますでしょ。私どものが職業をする上で、その倫理がバラバラなままにしておこうと誓ったりすれば、私が個人として存在するその確かさそのものを切り刻むことになっちゃいますよね。私どもの時代になって、私どもの世代になって初めて、トラウマの悲しみを抱えつつ、気付くことになったのは、単独で自明なこと、すなわち、黄金律は、あらゆる前史において、いつでもずっと、争いと共にあった、ということです。
ここも非常に大事なところですね。倫理を一貫したものにするのか? それとも、私的生活と、職業生活と、政治参加において、倫理がバラバラのままにしておくのか?
エリクソンは、この倫理がバラバラだと、自分を確かにすることなどできない、と言いますね。どうでしょうか? 仕事場で言っていること、やってることと、家庭で言ってること、やってることがバラバラだったら? どれがホントの自分なのかはわからなくなっちゃいませんか? いろんな仮面をいろんな場面でつけるのが、日常生活の実態かもしれません。でもね、それがあっちではこうだけれども、こっちでは、ああだ、となれば、本音の自分は隠しておくべきもの、自己表現の場がなくなっちゃいませんか? すると人は息苦しさを感じますし、イキイキした感じを失っちゃって、なんかビクビク、オドオドして、あるいは、ペコペコ、ニヤニヤする生活になっちゃうでしょ。
私はそんな生活はしたくないですね。釜石小学校校歌のように、
「息あるうちは、イキイキ生きる」存在であり続けたいものですね。
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