低俗なラブソングを聴いたり、B級のメロドラマ(ソープオペラ)を見ても、人を大事にすることを学べません。
p1第3パラグラフ。
この種の態度は、たくさんな前提があります。その前提は、1つでも、複数でも、その態度を支持してくれます。たいていの人は、人を大事にすることは、「自分が大事にされる」ことを第一に、「人を大事にする」ことは二の次と、みなします。したがって、ほとんどの人の課題は、どうやったら自分が大事にされるのか?ということですし、どうしたら自分は大事にされやすいか? ということです。この目的を実現するために、ほとんどの人はたくさんなやり方をします。男がよくやる方法は、成功すること、自分の地位の持つ役得を大きくすることですし、女がよくやる方法は、自分を魅力的にするやり方で、自分の身体や着ものなどを洗練させるやり方です。自分を魅力的にする別のやり方は、男も女も使うやり方ですが、陽気で楽しい立ち居振る舞いと、面白い会話を身に着けるやり方と、人に役立ち、謙虚で、嫌味がないというやり方です。人から大事にされやすいたくさんのやり方も、「友達を作ったり、人々に影響したりする」ことをうまくやるやり方と同じです。現実に、私どもの文化の中でほとんどの人は、人から大事にされる事と言えば、人気があること+セックスアピールが上手だということになります。
フロムはここでも、現代人の特色を上手くとらえています。人を大事にするのは、あくまでも、自分が大事にされることが中心だと言います。何故でしょうか?
それは、親からも共同体からも、守られている感覚が、現代人は希薄になっているということでしょう。ですから、個が自律することが求められている割には、この自律を基礎づける、自分が幼い時から大事にされた経験が、決定的に不足しているからだろう、と私は考えます。
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