真実の泉 マイノリティに住みよい社会は、人類に住みよい社会恍惚としても安心できません 本物の安心は、どうやったら、手に入れることが出来るのでしょうね。 Young Man Luther 『青年ルター』の......
今朝の聖書の言葉は,θέλημα セレーマ 「神様のみ心」です。人間の場合は,「意志」,「意図」,「望み」などの意味にもなります。
この言葉は,「主の祈り」というキリスト者にとって,一番身近なお祈りの中に出てきます。『新約聖書』の最初にある「マタイによる福音書」の第6章に出てきます。
「 主の祈り
9それゆえあなた方は次のように祈りなさい。
天にいますわれらの父上、
あなたのみ名が聖められますように。
10あなたのみ国が来ますように。
あなたのみ心が行なわれますように、
天のように地にもまた。
…」
このみ心は,さらにさかのぼれば,ヘブライ語の「ラーツォーン」(רָצוֹן)に遡るそうです(http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%AB%E8%AA%9E%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%BE%A1%E5%BF%83%E3%80%8D(%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%B3)%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86)。
簡単に言えば,このギリシア語の「セレーマ」,ヘブライ語の「ラーツォーン」は,「自分が損をしても関わる,陽気で楽しい関わり」,「その歓び」です。
ですから,主の祈りは,
天で,神様が自分から損して関わる,陽気で楽しい関わりをして下すって,「良かった良かった」と喜んでくださっている様に,この世の中でも,自分から損して関わる,陽気で楽しい関わりをして,「良かった良かった」と喜びを分かち合いますよ
ということになりますね。
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