気持ちは至る所に現れてますからね。不思議がり オットーさんも素敵な詩人ですね。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p101の第3パラグラフ3行目途......
Toys and reasons. p.51。昨日の続きの件。
ここは非常に大事なところを,実に要約的に,エリクソンが教えてくれているところです。
中心的な「視点」(ドイツ語では,Gesichtpunkt ゲズィヒトプンクト )とは,自分が確かめられる事実(fact)の寄せ集め以上に広い見方があるのですよ,と言っていると同時に,私どもがこの世の中で生きていく際の「生きる指針」を整えるには,人と人とのやり取り(actuality)が必要ですよ,と訴えるものです。
ですから,この中心的な「視点」とは,単なる事実の寄せ集めをどう見るのか,ということではありません。それだけだと,数学的な,物理的な,客観的な視点にすぎません。この視点だけだと,非常に自己中心的,お役所仕事,倫理にもとるものになりがちです。国会でのお役人の答弁が,まさにそれです。
この中心的な「視点」には,「何のために生きるのか?」,「自分はどのように生きたいと願っているのか?」という目的的な視点が必ず含まれます。その「何のために生きるのか」の視点も含めるためには,人と人のやり取りの中で培った,他者中心,他者感覚(丸山眞男),共同体感覚(アドラー),全世界の人たち(宮沢賢治),人類は1つ(エリック・エリクソン)という視点が必要です。ここに,倫理的であると同時に,弾けるほどの,跳び上がるほどの歓びの源もあります。
私どもサイコセラピストの,ほとんど唯一の役割は,この中心的な「視点」を,子どもに提供することです。
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