発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害の子どものジャスティンがケダモノになっていたのは、ケダモノ扱いされ続けたからです。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.131の第2パラグラフから。
私は静かにたたずんでいました。それから、私はゆっくりと白衣を脱ぎ始めて、床に置きました。ジャスティンは私を見つめました。私はゆっくりネクタイを外して、それも床に置きました。腕まくりもしました。1つの動きをするたびに、ジャスティンに近づいていきました。動いても話をしませんでした。できるだけ、ジャスティンを怖がらせたくなかったからです。素早い動きは1つもありません。愛コンタクトもしません。話は、ユッタリと、メロディーのように、リズムのあるトーンで、子守唄でも謳うように話しました。私は、怖がっている赤ちゃんか、ビックリしている動物みたいに、ジャスティンの歩み寄ったんです。
ねっ。いかに、ブルース・ペリー教授が慎重さと賢慮をもって、ジャスティンに歩み寄って行ったかが、手に取るように分かる所でしょ。これくらいの慎重さと賢慮が、ジャスティン出ない場合でも、発達トラウマ障害(DTD)の子ども達に歩み寄る時には必要です。
「正しいこと」を強制するなど、もってのほか、と分かりますでしょ。
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