エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ : 生きた神のリアリティ

2016-06-14 18:29:53 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
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 こんばんは。gooブログが、メンテナンスであったために、更新が早朝、という訳にはいかなくなりました。それはそれで、またいいものですね。夕方にチャァンと、更新の時間が用意されている不思議。

 今宵は、関根正雄先生の言葉に学びます(『古代イスラエルの思想』より)。

 

 

 

 

 

私は青年時代に内村鑑三、塚本虎二両先生に就き、そこで聖書に接した。聖書に接したということは、生きた神のリアリティにふれたという意味である。

 

 

 

 

 

 

 「聖書に接した」と言う言葉。ありふれた言葉でしょ。聖書に接する、ということは「生きた神のリアリティにふれた」という意味になったら、どんなに素敵なことでしょうか?  でも、「生きた神のリアリティ」とは何でしょうか? 「生きた神のリアリティ」にふれたら、人はどうなるのでしょうか?

 「生きるはキリスト」ということになると私は感じています。

 

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