対等になるには、強い立場のものが弱い立場の人の下に立つとき。理解、understandは、その意味で対等の時でないと、成り立たない。
今日は、p45の下から6行目、Motherly Loveから。
母親が子を思う気持ち
私どもは、前節で母親が子を思う気持ちに性質について、すでに触れました。そこでは、母親が子を思う気持ちと、父親が子を思う気持ちの違いについて論じましたね。そこでご指摘しましたように、母親が子を思う気持ちは、自分の子どもが生きていることと子どもの求めていることを、掛け値なしで肯定することです。しかし、このことに大事なことを、一つ付け加えなくちゃいけません。子どもが生きていることを肯定することにはね、2つの側面がある、ということです。1つは、子どもが生きていることと子どもが成長することを守るために、けっして欠くことのできない、世話と責任です。もう1つは、単に守る以上のことなんです。それは、自分の子どもに生きていることに対して真実な気持ちを感化する心の向きです。生きていることに真摯であれば、その子どもは感じます。「生きていることは素晴らしい」、「幼い男の子も、幼い女の子も生きている値打ちがある」、「この世に生きているって、素晴らしい」とね。
エリクソンは、赤ちゃんはお母さんに対するときに、2つのものを見ているといいます。1つはお母さん。もう一つは、お母さんの瞳に映った自分自身。赤ちゃんは、お母さんの瞳を通して、自分を知るものなんですね。
フロムも、ここの件で、同じことを別の表現で言っています。あ母さんが、子どものことを掛け値なしで大事にするときはじめて、子どもは「自分は生きていていい」と感じることができます。「この世に生きているって、すばらしい」と感じることができます。
ところが、今の日本では、ビックリするほどたくさんの子どもが、掛け値なしで大事にされることが少ないんです。大事にされるとしても、いつだって、条件付き。「〇〇したら、ご褒美上げるからね」というわけです。
ですから、ビックリするほどたくさんの子どもが、自分がこの世に生きていていいのかどうか? がハッキリわからないのです。いいえ、「死んじゃったほうが良い」と感じているのです。お金持ちの家でも、貧乏の家でも変わりません。都会でも田舎でも変わりません。一人親でも両親がそろっていても、差はありません。
ですから、フロムのこの本が教えて下すっていることが、値打ちものなんですね。
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