エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ことばの枯渇 3訂版

2015-04-29 02:23:57 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 ことば。人間、ホモ・サピエンスの特色です。でも、白鳥が群れで逆Vの形で飛んでいる時、語り合いながら、その編隊飛行の形を変えているのを目の当たりにする時、ことばは人間だけのものじゃぁないなぁ、と感じます。

 ことば、インターネットやソーシャルネット、あるいは、本屋さん、あるいは、小学校の授業や、壁に貼った標語…。一見言葉が溢れているようにも見えますね。でも本当に言葉が豊かになっているのでしょうか? あなたはどう感じますか?

 言葉には、1)自分を表わす言葉、2)他者を表わす言葉、3)世界を創造する言葉 の3つがあるそうです。いま溢れているのは、1)自分を表わす言葉だけでしょ。まど・みちおさんややなせたかしさんのような、2)他者の良さを表わす言葉や3)世界を創造する言葉は、極端に枯渇していることを感じます。

 ソーシャルネットの言葉の中にも、明らかに「自己宣伝」と分かるような言葉や写真を載せているような人もいますしね。その人、何かを信じているように言ってはいますが、「何も信じられません」ということが伝わってきて、その人の言葉や写真を見るたびに、「痛々しい」感じがして、嫌ですものね。でも、ご本人はうすうす感じているのに、見て視ぬフリをしている感じです。逃げています。自分に向き合おうとせず、探し求めているのは、自分に「いいね」を出す人ばかり…。はやく気づいてもらえたいものですね。

 新聞でもテレビでも、本当はヴィジョンに繋がるような3)世界を創造する言葉を語るべきなのに、いまでは、当たり障りのない、権力に迎合し同調する言葉に終始している場合があまりにも多い。古賀茂明さんのように、忌憚のない意見を言う人や、古賀茂明さんの率直な意見そのものが、「事件」か「事故」のような扱いでしょ。言論統制と「表現の自由」の時代が、すでに始まっています。自己宣伝だけの言葉や、真実をゴマカシ、隠ぺいしている言葉ばかりが、溢れているんであって、真実の言葉、パレーシアな言葉は、極端に枯渇しています。

 「こんな素敵なものを見つけましたよ」、「こんな世界もありますよ」と言うヴィジョンのある言葉を大事にして生きたいものですね。

 でも、そのためにどうしたらいいのでしょうか?

 

 

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