エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

100分de 内村鑑三   「無私」の人が出来るまで

2016-01-06 07:26:47 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
今の日本の、お年寄りたちの顛末 4訂版
   今の日本の、お年寄りたち。お金持ちは、介護付き高齢者マンション、介護付有料老人ホームに入れます。これは公的な福祉施設ではありません。お金持ちたちが介護を買う...
 

 今月の100分de名著は、内村鑑三の『代表的日本人』だそうです(http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/50_uchimura/index.html#box01)。今月10日(水)朝6時、夜10時から教育テレビで始まります。『代表的日本人』は岩波文庫にあります。内村鑑三の手によって、「西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮という五人の歴史上の人物の生き方を通して書かれた日本人論」です。もともとは英文です。

 先日のNHKの「プロフェッショナル」10年特番で、これまで何百人の著名、無名の人を取り上げてきた中で、10人ほどの人が再度取り上げられてましたね。そこで繰り返された言葉がありました。それは「信念があったぁ」です。今どきのニッポンで流行りのウソとゴマカシの我利我利亡者の反対語は、「信念があること」なのでしょうね。

 「信念」と言ったら、明治以降の人物では、内村鑑三が特筆に値することは当然です。なぜなら、内村鑑三が、「不敬罪」(明治天皇を軽んじる犯罪)に問われた、第一号だったからです。1891年(明治24年)1月のことです。そのおかげで、内村鑑三は、仕事も、結婚して1年ほどの奥さん、かずも、たくさんの友人も、居場所も、失くしました。それで転向したかと言えば、一張羅を選択している間は、下着でいた、と言われるほどの極貧生活が何年にもわたったのに、信頼をさらに豊かにした感じです。有名な『後世への最大遺物』の講演は、1994年の夏の話です。

 100分de内村鑑三で最初に取り上げられるのは、徹底して「無私」の人だった、という西郷隆盛だそうですよ。内村鑑三は、西郷隆盛が盛んに「天」という言葉を使うことに触れます。そして、それは、「静かなる細い声」を聴いたからに違いない、とします。先日取り上げた、42年前に、悪臭漂うゴミだらけの谷津干潟を、たった一人で掃除し始めた、森田三郎さんが、「谷津干潟の声」を聴いたのと、似てますでしょ。西郷隆盛の言葉で、有名な言葉も、「敬天愛人」ですからね。京セラの稲森和夫さんも、会社の部屋に、同郷の西郷隆盛の書で「敬天愛人」を飾ってますもんね。西郷隆盛は、その「大いなる存在」の声を聴いて、それに従ったから、、徹底して「無私」の人になれたし、「信念があったぁ」と言われるようになったのだと思います。それは、そうなりたい、と思ったからなった、というよりも、「声に従う」といことの結果として、徹底して「無私」の人になれたし、「信念があったぁ」と言われるようになった、というのが正確だと私は考えます。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« トラウマ治療に役立つ薬もあ... | トップ | ホワイトハウスでの会議 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿