エリクソンが見た、戦争のもう一つの危険
前回は、日常生活の儀式化がいかにダイナミックか、というお話でした。そして、儀式化は<私>と、他の人の<私>が出会い、連帯するものであることも分かりました。 さて、今回はToys...
今日、クローズアップ現代を見ていましたら、知らない言葉が出てきました。「ロコモティブシンドローム」。なんか機関車好きの人なのかな?
でもこれは機関車とは関係ありません。子どもの(あるいは、高齢者の場合もあるそうです)運動機能の話題が今日のクローズアップ現代です。運動が足りないために運動機能にかかわる体が変形・変質しているというのです。運動機能は、足腰だけではなく、ひじ・肩なども入ります。運動といっても、移動のための運動だけではないからです。
なぜ、子どもの体が変形・変質しているのか?
これに対して、今日のクローズアップ現代に出演された、整形外科の先生、武藤芳照さんがおっしゃるには、「多様な遊び」が足りないからだそうです。特に外遊び。
何度か申し上げていますが、私が小学校に参りますと、なるべく、業間休み(2時間目と3時間目の間の、20-30分の休み時間)や昼休みに、外で子どもと一緒に遊びます。でも、その時に、子どもと一緒に外で遊ぶ先生は、ほとんどおりません。せいぜい教員になりたての教師か時間講師くらいですね。外でこどもと遊ぶのは。
子どもが外で遊ばなくなり、多様な遊びを遊ぶ機会が奪われているので、子供の体が変形・変質しているのだそうです。
私は体にそれだけ影響があるのですから、遊びは子どもの心の変形・変質にも関係があるなと、当然考えるのです。でも、これは今日クローズアップ現代を見たから思ったのではありません。
今日のところは、青年期の儀式化が、権力によって「軍事的儀式化」に誘導・扇動・ゴマカシを受けやすいという話が出てきます。「儀式主義ではなくて、儀式化なんだからいいんじゃないか?」とおっしゃる方もいるかもしれませんね。
でも私はその考えは反対です。なぜなら、「軍事的儀式化」は限りなく儀式主義の親戚だと考えるからです。なぜか? なぜなら、「軍事的儀式化」には、文字通り「遊びが足りない!」からです。
遊び、それは、制限があるのに自由です。制限があるのに、ゆとりがあります。制限があるのに、楽しいです。しかし、「軍事的儀式化」には、最も肝心な遊び、その自由とゆとりと楽しさがないんです。
子どもの遊びが足りない、ここにも日本の根源的な貧困がある、と私は確信しています。ですから、≪笑い≫のためにも、遊びがぜひとも必要です。
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