群れた自己愛とアイデンティティの間:村八分・見せびらかしvs親しみ・生み出す力
前回は、儀式化された戦争についてでした。短いながらも、示唆に富んだところだったと思います。 さて、今回はToys and Reasons のRitualization in E...
オバマ大統領が来日しています。オバマ大統領の遊びのある表情と知的な感じに比べて、我が安倍晋三首相はなんであんなに間抜けに見えるのでしょう?同じ笑顔なのに、オバマさんの方は知的で、安倍さんの方はハクチ的です。たぶん私に偏見があるからだろうと思います。しかし、それだけではないでしょう。
今日の朝日新聞に濱野智史さんが、安倍さんの「反知性」を書いています(http://www.asahi.com/articles/DA3S11100994.html)。それによると、観桜会で、春から給料が上がっていいね、という趣旨の歌をしゃれ込んだそうです。それに対して、どこかの先生が、「上がったのは給料じゃなくって、消費税だ」と噛み付いたとか。安倍さんのハクチぶりをよく物語っていると思います。私は成蹊大学が「バカだ大学」だと申し上げているのではありません。むしろ、閑静な環境を提供しているいい大学だと感じています。でも、安倍さんの周りには道(蹊)もできないでしょう。あれだけのハクチぶりを示すのは、大した苦労もなく生きてきた証拠で、人の痛みや苦しみに極端に鈍感だからです。今や非正規で働く人が4割になろうとしていて、正規で働いている人も残業代も出ないのに働いているのが現実で、大学を出ても仕事はなし、大学に行きたくてもお金がない、という現実がどんなものか、想像する力がないのです。それは、子どものころ外であんまり遊んでないからだと思います。お坊ちゃまですから、泥んこ遊びやカンケリなんかしてたら、「服が汚れます」などとお手伝いさんか何かか止めちゃっていたんじゃないのかな?遊びが足りないと、人間はバカになっちゃいますからね。
ですから、今日のところでエリクソンが言っている通り、「群れた自己愛」の集団を作って、「排他的集団のエリート」に、安倍晋三首相はなっちゃっている訳です。
次回の選挙では、安倍晋三首相には、きついお灸をすえてやらなくっちゃいけませんね。そのお灸もあんまり感じないんじゃないかと思いますけどね、安倍晋三首相は。
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