相応しくない者もいただける恵み私どもは、神様の恵みがあるから、スピリチュアルな人になれると言います。 Young Man Luther 『青年ルター』のp184の第2パラグラフから。...
≪名づけ≫こそは、≪私≫の始め。向谷地さんらが実践している「当事者研究」も、その地道な一例です。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.237の、2行目から。
ヘレン・ケラーの物語を読むと思い出すのが、虐待され、手に負えない、しかも、やり取りのない子どもらです。その子らは居住型施設のプログラムの中で見ていた子らです。ヘレンが言葉を身に着けるまで、当惑し自己中心でいましたね。振り返れば、ヘレン・ケラーは、その生き物を「オバケ」と呼びました。実際、私どもの子ども等は、オバケでして、自分になのが起きるのかやり取りできるほど安心・安全だと感じるまで、オバケです。
ヴァン・デ・コーク教授は、愛着障害の子どもの様子を分かりやすく伝えるために、有名なヘレン・ケラーの伝記を紹介しているのでしょうね。荒れ狂う子どものイメージですからね。ヘレンが、水という言葉を学ぶまではね。
でも、「オバケ」みたいな子もいますけれども、実際は、蝋人形のような子どもの方が多いし、重症です。
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