エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

聖書の言葉: 神様のお名前と正義

2016-12-08 05:17:07 | 聖書の言葉から

 

 

 
飛び込むときに、確かに必要な、とてつもないほどの確信と共感
   不信と不安のスイッチ  比較できない価値を忘れると、人間も心無い機械仕掛けのモノになる。その典型は、お役人です。 p85の第2パラグラフ。  &n......
 

 神様のお名前。エリクソンも取り上げているところですが、今宵は、本田哲郎神父様の『釜ヶ崎と福音』から。

 

 

 

 

 

 「わたしはある」というヘブライ語の「エヒエー」を三人称単数形で表現すると、「ヤハウェ」となります。…どうやらそれは、「エヒエー=わたしはある」が単に「ある」とか「いる」といういみではない、ということのようです。…特別にモーセに、また弟子たちに「いっしょにいる」といわれる、ということは神が共にはたらくという意味がこめられているのです。…

 …イザヤが派遣された、「アナビーム」と呼ばれる貧しい人のことです。しいたげられたり、弱い立場に置かれたり、社会的に小さく小さくされてしまっている、みんなから後回しにされがちな、そういう人たち。…貧しくちいさくされているがために、誰よりも痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りを知っている人。同じようなつらさを担っている仲間に対して「わかるよ」といってあげられる、そういう人たち。その人たちこそが神が植えられた正義の樫の木なのです。

 

 

 

 

 

 正義の人が貧しい人。マハトマ・ガンティーやマルティン・ルーサー・キング、マザー・テレサが「正義の人」というなら解る。しかし、貧しい人が正義の人と言われて、納得する人は少ないんじゃぁないかしらね。

 でも、「闇の中にこそ光がある」訳ですね。この世の常識の延長が正義ではない。むしろ、常識や通念の正反対、それが真理であり、正義なんです。

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