赤ちゃんが、あおむけにされて、お母さんのおっぱいや、オシメの世話や、あやされることを求めている時には、実は、心の底の底の願い、最深欲求の答えも求めているのでしたね。最深欲求。とっても大事なものですね。人が人として生きる時になくてはならないもの、それが最深欲求である、と言えますよね。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p41の第3パラグラフから。
人間の発達を司るのは、強調点の劇的な変化です。赤ちゃんの時、とっても長い間、人の世話になる中で、初めて全人格が価値あるものと認められる体験をする中で、人の子は、まもなく、かつ、徹底的に、学ばなくてはならないことと言えば、それは、自分自身の(2本の!)足で立つことですし、まっすぐに立つ姿勢を確かにさせることです。人の子が、まっすぐに立つことを学べば、新しい(人生の)見通しを作り出すことにもなるので、たくさんな、とっても大事な(生きることの)意味を、遊ぶ(自由な)人間として、まっすぐに(単独で)立つ人として、手に入れることができます。
素晴らしいエリクソンの文書でしょ。人の子が自分自身の二本足で立つことは、自由=遊びがあり、「みなさん御一緒に」と言う世界とは別れを告げる、1人単独で立つ、内村鑑三が言う「単独者」として、大事な意味を手に入れることにもなる、ということも、エリクソンは教えてくれているからですね。
でもね、いつものことですが、翻訳は滅茶苦茶でしょ。村瀬・近藤のみすず書房版だと、何のことだかさっぱりわかりません。翻訳と言うのは、特に臨床の翻訳ですと、臨床ができない人、臨床が下手糞の人はやらない方が良い。エリクソンの臨床の機微が分からないから、横だったものを縦にしただけ、直訳しただけの、村瀬・近藤版では、そのことがハッキリと分かる所です。
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