ガザと飯舘村のあいだ 「人間の尊厳」を巡る戦い今日、ガザの弁護士ラジ・スラーニさんのインタヴューを伺いました。 http://www4.nhk.or.jp/kokoro/ スラー二さんのお話、ボン...
タッチ、触れられることは、気付きの始めです。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.218の、第6パラグラフから。リシアさんの言葉は、まだまだ、まだまだ、まだまだ続きます。『大きなかぶ』と同じですね。
「身体が物理的に抑制されるのは、いろんな感情が内側に閉じ込められている時ですよね。肩が凝ったり、表情筋が緊張していたり…。そういう人達は、とてつもないほどのエネルギーで、涙をこらえている訳ですね。どんな音を出しても、どんな動きをしても、心と裏腹です。緊張が緩んでくると、感情も出てきます。動きが出てくると、息もそれだけ深くなりますし、緊張が緩むほどに、気持ちを表す音も出せるようになります。身体がだんだん解放されて、息が一層深く、流れるようになります。タッチされ、触れられると、人の動きとやり取りする中で、身体を動かせるようになります。」
ここも実にお見事ですね。日頃、子どもとの無言のやり取りをこれだけはっきりと言語化した文書は、エリクソンのもの以外では、初めてですね。リシアさんは、只者ではありません。ヴァン・デ・コーク教授も、リシアさんのボディーワークを観察して、それを感じたからこそ、こうして、彼女との対話を事細かく記しているのでしょう。
言葉のやり取りが始まる前に、身体のやり取り、タッチや動きのやり取りが先にあります。その微妙なタッチや身体の動きを、相手の呼吸や動きに合わせる中で、セラピストがやり取りにしていくんですね。すると、やり取りに飢えている子どもは、そのやり取りの切っ掛けにすぐに気づきます。それで、子どももこちらに動きやタッチに応じてくれるんですね。こうして、やり取りが生まれます。そして、その分、子どもの中に、小さな≪私≫が生まれます。
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