エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

満たされていないから、あのウソを信じて「上」に立とうとするのです

2014-07-03 10:06:58 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
人間を上下2つに分けるウソ
  「陽気で楽しい暮らしがない」と「戦争・ジェノサイド」を結び付けると、まるで「風が吹くと、桶屋が儲かる」の類だと思ったあなた! そういう節もないではないので...
 


 満たされないと、何とか満足したい、と思うのが人情というもの。しかし、その時、満足する手立てが必ずしも本物であるとは、限りませんね。偽物、「ウソとゴマカシ」が入り込むのは、この満たされない人たちなのですね。

 その最大、最悪のものが、エリクソンが言う、スドォー・スピーシーズ (須藤さん?)pseudo-species、「人間を上下に分けるウソ」という訳語を当てているウソなのです。「偽りの種別化」などと訳したのでは、分からない。

 このウソ程、人類の歴史の中で、人々を魅了したウソはありませんね。そして、ウソの中で、このウソほど、最も残忍、最も残酷、最も卑劣、最悪のウソもありません。戦争やジェノサイドを支えるウソであるからだけではありません。子育てを含めたあらゆるヒューマン・サービスの質を “最低” にするものだからです。

 そこには、もう一つの≪人間心理のからくり≫があります。ヒューマン・サービスにつく人には、マザーテレサのような、神様のような人がいる一方、もう今は昔かもしれませんが、戸塚ヨットスクールのように、子どもの命を奪う、「悪魔」のような人までいます。そして、結構「悪魔」に近い人がヒューマン・サービスの仕事をやりたがる。なぜか?

 それは、満たされない人には、弱い立場の人、「下」の人が必要だからです。そこに「人間を上下二つに分けるウソ」がドッと雪崩れ込む隙があるのです。満たされない人は、自律的に満足することはできません。そこで、満たされていない人が満足するためには、その人よりも「下」の人と自分を比較して、自分を「上」にするときだけ、「嬉しい」「自分は生きている」と、ちょっぴり、かすかに感じることができるのです。ですから、弱い立場の人が “必ず“ いる、学校を含めたヒューマン・サービスの場に、満たされていない人が、ドッと雪崩れ込むのです。

 その人たちは、本来の理解 under-stand ができませんから、根源的に、ヒューマン・サービスはできません。常に「上」に立とうとするのですから。

 ですから、私どもは、自分の心を常に内省して、「人類を上下に分けるウソ」に付け入るスキを与えていないか、自らを見つめなおすことが繰り返し必要です。

 このブログの読者のあなた、

あなたは、「人間を上下二つに分けるウソ」に付け込まれていませんか?

 

 

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