トラウマに向き合うことが、やっぱり大事ですね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.235の、第2パラグラフから。
秘密を守り、情報は隠している限り、あなたは根源的に自分自身と闘っていることになります。自分の真ん中にある気持ちを隠していたら、疲れますから、価値ある目標を追求しようという動機を殺ぐことになりまし、退屈で、閉じこもった感じが残ります。その間、ストレスホルモンがドッと身体に出ますから、頭が痛くなりますし、筋肉も痛くなりますし、胃の調子もセックスも弱くなりますね。それに、自分が恥をかいたり、周りの人たちを傷つけるかもしれない、おバカな行動をすることになります。そういった反応の元が分かって初めて、自分の気持ちを、差し迫った注意が必要な課題のシグナル・目印として使えるようになります。
感じていることは、とても大事ですね。さっきのブログで取り上げました、自閉症の小学生の繰り返しに感じたことも、初めはハッキリと言葉にはできませんでしたけれでも、「常識」に囚われないで、自分の感じを大事にしたからこそ、相手の子の気持ちにも寄り添うことが出来ました。
感じの中には、イメージもあるかもしれませんね。私もそういう鮮明なイメージを与えられたことが、何回かあります。そういうイメージを感じた時には、人生を左右するような、非常に大事なメッセージがなかったことは、今まで一度もありません。いまも1つの強烈なイメージが与えられた状況にあります。ヴァン・デ・コーク教授がおっしゃるシグナルだと思いますし、そのメッセージの意味もハッキリしています。でも、まだアクションは起こしてはいません。なぜか踏み出さない方が良い感じがあるからですね。時期がまだ満ちてない感じがあるんですね。
神のなし給うことは、全て時にかなって美しい。
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