半蔵門右手の桜田濠
「パレーシア」がレトリックと対立する伝統パレーシアの主なやり方が、対話であることがハッキリしました。対話は、民主主義の根源的な方法論であるのですから、パレーシアは民主主義の根幹をなす、と言え...
パレーシア、自分が弱い立場であるから、損することを覚悟して、立場の強い人に物申すこと。民主主義の基礎をなす考え方であると同時に、行動の仕方です。日本では、ほとんど知られていません。欧米でさえ、フランスの哲学者、今はなきフーコーが熱心に取り上げるまで、それほど知られていたわけではない。
日本人でパレーシアを頭や口先で知っていても、それを行動に移す人はまれです。それは、日本人の一般的な行動様式の同調主義、「長いものに巻かれろ」、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という考え方・行動の仕方とは、正反対、、真逆だからですね。
「特定秘密保護」法が施行されて、ますます、自分の意見を率直に言うことが、はばかれる雰囲気でしょ。パレーシアとは、ますます逆向きの力が働いちゃってますもんね。民主主義にとって、ますます危うい時代です。
それどもね、丸山眞男教授が教えて下さっているように、民主主義は「民主化」によってかろうじて成立するものですから、「民主化」の永久革命の働きかけをしなければ死んじゃいますでしょ。その「民主化」においては、パレーシアが、世の中の動きと真逆だからこそ、大事な時代になった、ともいえると私は考えます。
「人間らしい暮らし」を少しでも実現するために、身近にいる立場の弱い人にとって必要なことを、ハッキリ言葉にして生きましょう。
自分の人権が踏みにじられそうになったときには、「法治」を徹底するように、「ヤクザナ奴」とは一線を画する発言を、ハッキリ言葉にしていきましょう。
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