ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。今宵は、p.45。ナウェンさんのお話の続き。重たい知的障害の青年アダムから教えて貰ったという「人間らしい心」って、どういうことかしら?
暮らしの中で、身体が必要なことやら、気持ちに必要なことなことやら、知的に知りたいことやら、道徳的にしなくてはならないことやらに追われて、心が一番大事だということをついつい忘れがちです。心は神様からの贈り物ですから、私どもは、信頼することが出来ます。神様だけじゃなくて、両親も、家族も、世間も信頼することができます。とても幼い子ども達は、心深く、直感的に、神様と心とを知っていますでしょ。悲しいかな、後から次第に身に着けた、いろんな考えで、神様を知ることも、心を知ることも、邪魔され、抑えつけられてしまいます。身体や知的に障害がある人は、簡単に心を人に伝えることができますし、多くの知的に高い人がたどり着くことのできない、不思議を感じる暮らしを明らかにしてくれます。それは、不思議を感じる暮らし、心ある暮らしは、生まれた時から、神様が生み出したものだからです。私どもは、生まれた時から神様の物です。私どもは生まれながらに神様と親しくやり取りが出来るようになっています。
不思議、と言ったら、荒唐無稽、眉唾もの、と思う人も、多いでしょうね。
キリスト教、特に、無教会は、東大出身の人も大いし、学者も多いですから、知的に理解することを大事にしますね。けれども、野村實先生は、つねづね、キリストの神秘主義ということをおっしゃっていました。臨床が大事な臨床医として一生を全うした野村先生らしいと、私は思います。
神様と日々やり取りしてますとね、理屈や常識を超えたことが、現実に起こるんですからね。しかも、それは「奇跡」ではないか、と思うほど、ありがたいことなんですからね。
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