NHKスぺ「女性たちの貧困」と「すべての女性が輝く社会づくり推進室」という看板の間昨晩、NHKスペシャル「調査報告 女性たちの貧困 ~"新たな連鎖"の衝撃~」。4月に放送された番組が昨晩、再放送されました。2度見ても、...
真実とは何でしょうか? 今晩は真実について考えたい思います。ウソとゴマカシだらけのニッポンでは、いまこそ真実が大事でしょうからね。
真実を国語辞典で調べますと、たとえば、『岩波国語辞典 第二版』では、「偽りでないこと 本当」と出てきます。また、ウィキペディアによれば、「嘘や偽りでない まこと」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%9F)とあります。また、仏教では「真如」、ギリシア語では、「アレセイア αληθεια」です。「アレセイア αληθεια」は、否定の接頭辞「ア α」と、「隠れる」を意味する「レソー ληθω」の組み合わせですから、もともとは「隠れることのない」という意味です。日本語でも、ギリシア語でも、真実とは、否定的な定義が多い感じですね。それだけ、真実とは定義しづらいものなのでしょう。
私が学んできた真実とは、関係の質に関わる意味だということです。その意味では、以前にも記しましたね(高橋三郎先生の「真」)。先日、書道家の篠田桃紅さんの番組を見ていて、同じ種類の「真実」に出くわしたので、また改めて、「真実」について考えたいと思った訳ですね(NHK「墨に導かれ 墨に惑わされ ~美術家・篠田桃紅 102歳」)。篠田桃紅さんは、「人が1人でもいたら、書いたことないです。…だから、いつも、ウソなんです、取材って… 全部ウソです、それだけは、はっきり申し上げておきます。あんたがたは、真実を取材できると思ったら、大間違い」とおっしゃいます。さらに次のようにおっしゃいます。「真実とは、捉えられると思った瞬間に、真実でなくなってるわね」と。毎日真実を求めている人にして、初めて語ることの出来る言葉だと、強烈に感じましたね。ですから、テレビを見ていても、あのプリメーラのような香りが、その気配が、立ち現れていましたもんね。
真実は、人間が捉えることなどできないもの、いつだって、仰ぎ見て、近づくことしかできない。自分は比べ物にならない程チッポケだと分かる。ですから、真実の関係では、いつでも、こちら側の襟を正さなくちゃあらない関係であると同時に、とっても嬉しくなる関係でもありますし、なんて美しいのだろうと魅了される関係でもありますもんね。
まるで虹でしょ。虹は仰ぎ見るもの、美しいもの、しかし、決して触れることなどできないもの。
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