良心が、組織やこの世的な「正しいこと」から解放されたら、それは豊かで、実に生き生きとした、しなやかで晴れやかな全うさが実現しますね。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.252の、最後の行の途中から。
フロイトは、ひとりびとりの洞察力を、「正しいこと」を強調する人たちの(悪い)良心から解放しようとしました。フロイトの真っ当さは、ひとりびとりの自我の真っ当さですが、問題なのは、集団になった人間が、真っ当な人間に相応しい世の中を作り出すのか否か、ということなんですね。
ルターも、フロイトも、人間の信頼と洞察力という、最も価値あるものを、悪い良心から自由にしようとした点で一致していました。それは、信頼も洞察力も、悪い良心から解放されたら、人間らしい暮らしを作り出す上で、これ以上頼りになるものはないからです。
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