オートノミー。autonomy. このブログでも、何度か取り上げていますが、また取り上げたい気分だからです。
エリクソンのライフサイクルモデルですと、2番めの幼児前期、すなわち、1才半~3歳の時期の発達危機に際して、オートノミーに傾くのか、それとも、恥と疑いに傾くのかが問われるという訳ですね。エリクソンの代表的著作の1つ Childhood and society 『子どもの頃と対人関係』では、Eight Ages of Man 「人間の8つの時代」に出てきます(p.251-254)。あるいはToys and Reasons 『玩具と叡智』では、Life Cycle and Ritualization 「人生の巡り合わせと礼拝」 に出てきます(p92-98)。
オートノミーという言葉は面白い言葉です、「オートauto をノモスnomosにする」、すなわち、私が感じていることを、法則にして生きる」という意味だからです。オートはオートメーションや、オートマチックのオートで、ギリシャ語のウートス αυτος 「自分自身」という意味ですし、ノモス νομος は、「法則」、「原理」という意味です。自分が感じていることを人生の法則、生きる上での原理とする、という意味です。
こんな風に申し上げると、難しいと感じるかもしれません。でもね、実際はごくごく日常的なことなんですね。ここで「自分が感じていること」は、「何となく感じているけれども、すぐには言葉にならない感じ」の事なんですね。それを大事にすることが、オートノミーなんですね。言葉にならない感じをあなたはどれだけ大事にしてますか?
オートノミーで言うこの「自分自身」は、「かすかな声」ですから、世間でざわめく声や上司や教員の声にかき消されてしまいやすい。あるいは、その「小さな声」は「厄介」だから、そんな声を拾わないように、忙しくしていることがとっても多いのじゃぁないかしら?
それは、自分自身を軽んじることになっているとも知らないで…。エリクソンは、オートノミーに心が傾かない場合は、恥と疑いに傾く、と言いますでしょ。エリクソンは実際の人間の心の動きをよくよく知っているなぁと感心しますよね。自分自身を軽んじるから、自分の感じていることに蓋をして、出さないようにするんですね。自分の感じを出すことを恥じてる訳ですね。だから、気持ちや感じを出さない。そして、自分の気持ちや感じを表現できないのは、果たして、自分のせいなのか、それとも、親や教員や世間のせいなのかも分からなくなるんですね。
オートノミー。これを快復するためには、自分の心の中で囁く「小さな声」に耳を傾けなくてはなりません。
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