儀式化のおける筋立てを作る要素と「僕は悪い子」
遊びの中、子どもが大事な問いを出し、大人が「共に意味付け」をしてくれるのを待っている。前回の翻訳箇所で、エリクソンはそういうことも教えてくれていましたね。 今日は、Toys a...
エリクソンは、「悪い子という感じ」が筋立ての礼拝で最初に出てくる、といいますね。聖書が天地創造の後で、「失楽園」、すなわち、アダムとエバが、神様が「ダメ」って言っていた「善悪を知る実」食べた物語が来るのも、「最初の筋立て」の一種なのかもしれません。すなわち、それは「裁き」の物語です。しかし、「悪い子という感じ」が筋立てに出てくる物語は、それだけではありません。
昨日も記しましたように、「許してね」という子どもの願いが、遊びに出てくるのは、「悪い子」(「罪」人)でも許される、という物語、すなわち、「恵みの物語」もあるのです。子どもが、すなわち、私どもが求めているのは、この「恵みの物語」「プレゼントの物語」の方でしょうね。
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