ルターは、神の領域とこの世の領域の2つによける「二王国説」を採りました。それは、「改革派は目覚めていたけれども、ルター派は眠っていた」とバルトが言う事態を、ナチス時代にもたらす結果になりましたね。
Young Man Luther 『青年ルター』p214の第2パラグラフから。
この2つの人格とは「いま」何か? なんてことはどうだっていい。神学者、哲学者、心理学者はそれぞれ、人間を別様に切り分けますし、その分け方を統一しようたって、何にもなりませんもんね。ここで大事になるのはね、ルターが、それまでとは違って、心の中に葛藤を抱く人間の大事さを強調したことと、自分をよくよく見つめると、心の中に、完全な存在を見つかることから、救われることの大事さを強調した、ってことですね。
心の中をじっと静かに見つめてるとね、いろんな余計な考えがだんだんなくなってくるんですね。只管打坐をしている、座禅の人たちも「妄想(もうぞう)しないことだ」と言うそうですね。同じことです。そうするとね、自分の心の底の底の方に、ルターがいう「完全なる存在」が見つかんですね。それは「語りかける存在」です。その存在に気付けば、物事に一喜一憂しない、「確かな自分」、アイデンティティと呼ばれることもある、自分が手に入りますよ。
あなたも良かったら、どうぞ!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます