ふがいない自分も大事にできる人でありたいものですね。
Young Man Luther 『青年ルター』p.223の第2パラグラフから。
ルターの初期の講義がいかに大事かは、ルターの自我が回復した記録であるから、というばかりではなくて、新神学の記録でもあるから、なんですね。ルターの新神学は、ルターが一夜にして有名になる、ずっと前から、免罪符論争のパンフを作った人の手になる神学だと、思われてたんですね。カトリック神学者にとっては、ルター神学の改革は、ルターが否定した秩序の、みじめで、俗悪な木っ端でしかない、と思われてましたし、かたやプロテスタント神学者にとっては、ルター神学は、力強く、根源的に新しい、と思われてました。
真の改革は、全員が歓迎するようなものではないんですね。否定する人が結構いても、それにめげない強さがなくては、真の改革になりません。ヒュポメノーと言われる、損する立場、弱い立場、困った状況、うまくいかない状況にも、踏み止まる姿勢が必要不可欠だ、ということも、真の改革の条件みたいですね。
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