ルターは、慈しみ深い母親のような気持で説教をしていたのでした。
Young Man Luther 『青年ルター』p198の第2パラグラフ9行目途中から。
すべての階級の人を魅せるような態度は、他にはありませんでした。ただし、ルターは代表なき課税に反対する説教は、除いてのお話です。この説教によって、1517年、ルターは国中で有名になりました。それまでは、ルターは、指図通りに、新たに作り出されたカラクリのコミュニケーションをしました。10年の間に、12の都市の30の印刷屋がルターの説教を出版しましたが、それは、ルター、あるいは、ご贔屓のジャーナリストたちが、手書きの記事を書くや否や、その写しを書くや否やの事でした。ルターは人気のある説教者になりましたし、特に学生には人気がありました。王子たちや帰属にとっては、お祭り騒ぎの時の説教者でした。
ルターも嬉しかったでしょう。自分が苦しんだことが、人々に喜ばれたんですからね。ですから、絶望の隣に希望があり、闇の少し先に光がある、という訳ですね
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