エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

操り人形は止められない?

2014-05-07 07:09:37 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 操り人形はくれぐれもご免こうむりたいものです。今日は、P.15の下から4行目からです。

 

 

 

 

 

 「相手にされないこと」から生じる不安を和らげる方法として、「得だから群れに加わる」こと以外にも、現代の生活の別の面をもう一つ考えなくてはいけません。それは、仕事でのルーティーン・ワークの役割と、遊びでのルーティーン・ワークの役割です。人って今は「9時~5時まで」人間になっていますから、労働力の歯車にされています。すなわち、官僚政治勢力の部下か上司です。今の人は、自分から何かをやり出すことはほとんどできませんし、仕事は職場によってあらかじめ決められています。地位が上でも下でも、違いがほとんどありませんね。働く者は、上でも下でもみーんな、組織全体であらかじめ決めた仕事を、あらかじめ決めたスピードで、するもんです。つまり、仕事は、明るく、忍耐強く、きちんと、熱心に、みーんなと摩擦を起こさずにやるように言われます。遊びもおんなじに決まっています。ただし、仕事ほど厳格ではありませんけれども。読む本は読書サークルが決めますし、見る映画は映画会社のオウナーか劇場主が決めますし、コマーシャルの費用は、彼らが払います。休みも同様に決められています。日曜日は、車で出かけるか、テレビを見るか、トランプ遊びか、パーティーに行くかです。生まれてから死ぬまで、月曜から月曜まで、朝から晩まで、すべてやることなすこと、規格通りに簡単に決められています。こんなにルーティーン・ワークの蜘蛛の巣につかまっちゃっている人って、自分が《その人ならではの存在》であるってことを、忘れちゃっていますけど、どうなっちゃっているんでしょうか?一 度きりの人生を生きていることも、希望や失望もあるってことも、悲しみや恐れも感じていることも、愛し愛されることを願い、無視されたり相手にされないことを恐れていることも、忘れてしまっているなんて、どういうことなんでしょうか?

 

 

 

 

 

 むかし、大学で、「現代人の自己疎外」などという、難しい実存哲学の講義を受けたことがあります。難しすぎて、当時中身がよく分かりませんでしたね。でも今日のフロムのように、具体的に話してくれていたら、その「自己疎外」とやらも理解できたのにって思います。

 ルーティーン・ワークは仕事のことだけではないんですね。仕事はもちろん、遊びも休みもルーティーン・ワークなんですね、現代人は。これでは、現実には「思考停止」の状態でしょう。それも「思考停止」の完成形とでも言えるレベルなのではないでしょうか?だって、自分が一個の人間、「自分ならではの存在」であることも忘れているなんて!自分が操り人形であることも知らないのです。ですから、操り人形を止めることなどできないのです。

 私どもは、重症な「患者」、完全に病気、だと言えるでしょう。

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